次の講座は10/30(土)

「体癖論」を学び始めた頃、起きた変化

こんにちは。吉沢です。精神科医・名越康文先生に師事し、名越式体癖論の講座「体癖はじめの一歩」の講師をしております。今回は、「体癖論」を学び始めた頃、起きた変化についてお話ししたいと思います。

体癖論に出合う頃

 私は「体癖はじめの一歩」講師として皆さんの前に立たせていただいていますが、名越式心理学を伝える役割を果たすようになるなどと、初めは思っていませんでした。体癖論を学び始めた頃、私はある会社に勤めていました。扱っている事業は人の命を救うためものでしたから、社内でこの志をみんながある程度理解し、生き生きと仕事が出来たらもっと素晴らしいと思っていました。

 世の中の多くの人は誰かにサラリーを貰っています。でも、サラリーをもらうからといって何かの奴隷になったわけではありません。「当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、会社に所属し、働いているうちに、「仕方ない」という感覚になっている人の方が多いのではないでしょうか。

 働くというのは、「傍(はた)を楽にする」ことだと私は思っています。誰かのためになってこその勤めであり、それが働き甲斐、生き甲斐になっていくのではないでしょうか。

固定観念が変化し、自分の中にあったものに気がつく

 体癖論を学びに巣鴨のゼミに通いだした時分、私は自分が疲れていることを自覚していませんでした。体力がある分、心身共につかれたと周囲も気づきません。夢がつまった会社にいて、何が辛いのでしょうか。会社員の経験者なら少なからず似たような経験があるかもしれません。どうしたらみんなが明るい気持ちで働けるのかと、数年試行錯誤しました。

 例えば、他人が喜んでくれたら自分も嬉しいという人も、ルーティンを無事にこなしたい人も、自分が大きな業績をあげたい人も、歴史に名前を残したい人も、長期的に存続する会社にしたい人も、楽に給与を貰いたいという人も、このみんなが満足する方法を探して私はヘトヘトだったのです。

 ある日、名越先生の講座の帰り道にそれは降ってきました。「これから何がしたい?」と質問され、「活字に携わりたい」と答えました。私自身が驚きました。幼いころから文学に魅入られていましたが、それを仕事にするのは選ばれし人間であって、私の人生の選択肢に入れていなかったと気がついたのです。

見えないものだから堅固であり、変化は瞬間でもある

 私たちは自分の生きている道の上で常に自由である、ということです。お互いの尊厳を尊重しあった上で、人はそれぞれ、選択の自由がある。でも、多くの人がそのことに気づかないでいます。

 強固な思い込み、先入観、ステレオタイプという実体のないものを自分の中に誰もが抱えているのです。言葉にするとなんと単純なものなのでしょうか。単純な名前しかつけられないほどに、個々人の中で様々なものとして「在る」わけです。

 外形からは直接関係のない体癖論と私の職業ですが、体癖論を学んだとき、いかに自分が、自分で、「自由な私」を放棄していたかを知るわけです。しかも当時、直接それに気づいたわけではありません。ただ、自分の固定観念が体癖論を通じて変化を起こしただけでした。

 全く繋がりのないことが同時に変化を起こす。それは、“科学万能主義”からすれば、(今のところ)因果関係を見いだせないでしょう。それでも、繋がり合いの中にある、と感じる経験がみなさんにもありませんか?私はまさにそう直観します。

 体癖論を学ぶことは一つの例に過ぎません。次に起きた変化は全く関係ないものです。ですが、「学ぶことを始める」という動きは、ひとりの人間の力学が変わったのですから、そのほかの事象に何ら作用しない、ということはあり得ない、とも言えるわけです。みなさんはそれをどうかのほほんと、楽しみに待ってほしいと思います。不意に訪れる瞬間、それは、それぞれに与えられるGIFTだからです。