こんにちは。吉沢です。精神科医・名越康文先生に師事し、名越式体癖論の講座「体癖はじめの一歩」の講師をしております。今回は、なぜ名越式心理学・体癖論を学ぶのか(以降、体癖論)、ということについてお話ししたいと思います。
「学ぶ」ということ
学ぶと聴くと、机で勉強して、頭の中に知識を蓄えるイメージを描かれるでしょうか。私は、身体に入れて、そこからまだ見ぬ道が無数に拡がる、という感覚で、「学ぶ」という言葉を使っているように思います。
人類に言葉が出来てから、コミュニケーションの幅が広がった一方で、人間は他者と隔絶(かくぜつ)した感覚をもったかもしれません。それくらい「学ぶ」という言葉ひとつをとっても、私たちはお互いに違うことを感じています。
さて、なぜ体癖論なのか、と考えたとき、私が正直に思うのは、いくつもの性格分類と比較したわけではないのですが、簡単には本質へ行き着かせてくれない奥行きを感じました。
体癖論は、「はい、これです」と単純に手渡すことが出来ない学びです。そして、「ある程度の枠組み」である言葉でしか伝えられない。しかも体癖の違いによる感受性の違いこそが、言葉の捉え方の違いを生んでいるわけですから、言葉による答え合わせをしているだけでは不十分なのです。体癖論というのは、ここから更に研究を重ねられる課題を多分に含んだ性格分類なのです。
ですが、尻込みする必要はありません。体癖論を学び始めてからの私の実感、体験を、また次回以降にお話ししていきますが、その時々の自分の理解に応じて、新たな発見を次々とくれる(!!)素晴らしいパートナーでもあるのです。
「学ぶ」の先にあること
さて、そんな体癖論に、みなさんはなぜ興味をもってくださったのか。
具体的にご自分の現状に困っていることもあるでしょう。あるいは、特にめぼしい困り事は思い付かないけれど、毎日楽しいですか?と訊かれると「とっても!」とは答えられない。例えるなら、毎日曇天のような、「漠然とした行き詰まり感」を持っている方もいるでしょう。「これ、とは言えないけれど、何か生き生きできる可能性を探している」という方もいらっしゃる。「すでに色んなアプローチをしてきた」という方も多いでしょうね。
その一つとして、ついに名越先生の元にたどり着いた方がいて、その取っ掛かりとして、私たちの講座に来ていただく事もあるのですから、いつも身が引き締まる思いです。
話を戻すと、現状でいいやと思っている人が、新たに何か始めるということはない、ということです。人が新しく何かを始めるには、とてつもない勇気がいるのです。こんなことを言うと驚かれる方もいるでしょうが、私たちが普段、同じことを繰り返してしまうというのは、変えられないのではなく、「変えない努力」というエネルギーの使い方をいつもしているのです。
ご自身の大きな勇気に気づいている方も、まだ気づいていない方も、そうして「何か」を求めている皆さんにとって一つの答えになるか。私たちに求めていただけるのであれば、それを是非一緒に探していきたいと思っています。
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