次回は 7/19(土)、7/26(土)開催

それは誰の合理性?-2種の客観性と5種の合理性-| 体癖こぼれ話 #32

体癖こぼれ話

こんにちは。体癖はじめの一歩、講師の吉沢です。

「体癖こぼれ話」と題しまして、その時々の気づきをお話していきたいと思います。よろしければお付き合いください。


体癖論では体癖毎に感受性の特徴が異なりますが、それが実際、外部に表現される際には違った体癖であっても同じような行動として表されることがあります。

例えば、「合理性」といえば体癖論では5種の利害得失に基づくものだけを指します。

ところが、「合理的な人が5種である」というのを、自分の経験の中から理解すると、5種ではない体癖の人であっても「私は合理的だから、自分を5種だと診断しました」とおっしゃいます。

なぜそう理解するかというと、それぞれの体癖にとっての合理性が存在しますから、その意味では皆、合理的だからです。誰もが自分にとっての合理的な行動をとっているのに、違う体癖の合理性を見ると、大抵は「なんて非合理的なのだろう」と呆れたり、憤ったり、あるいは感嘆するのですね。それが感受性の違いということです。

そして、違いの理屈を理解するに止まらず、いままでの自分の理解の体験の外に出ることが、新しい学びを得るということです。

さて、これはある職場に入社してすぐの出来事です。

[預かった書類に表紙をつけて、スキャンを取って、紙に記録を残して、データを入力し、本人に配布する]という一連の作業をAさんから教わったのですが、預かった書類をその日のうちに返却する場合と、書類を一旦預かる場合のどちらの際にも同じ手順を取るように指導されました。

すぐに返却する場合の猶予時間が10分程度と短く、書類がパラパラと追加される場合もあるため、修正する必要も生じます。「すぐに本人に返すのにとても丁寧な記録の取り方をするのだな」と内心思ったのですが、社としてのルールがあるのかなと一旦はそのまま覚えようとしました。

ところが、数日後に一人で担当するとき、判断に迷い、Aさんに「これは表紙をつけますか?」と質問しました。表紙を付ける理由を想像しにくかったのです。

私は、このやり取りをBさんが見ている様子から何か言いたそうに感じました。が、何も言われず、そのときはそのまま作業を進めました。

さて、それからどうなったかというと、同日しばらく経って、私が再びその作業を一手に引き受けたとき、遂にBさんが口を開きました。「当日返却分については、表紙を作る作業のタイミングも無いですし、書類をスキャンしていますから、表紙の作成や修正をする時間がないので省いてもいいのではないでしょうか」

Aさんは「そうですか?」と恐らくしぶしぶですが承諾し、手順が1つ省かれました。

このエピソードからBさんの体癖を想像してみてください。

総括します。

ルールを大切にし、それから外れるのを嫌うのが上下体癖ですが、そのルール自体への感情的なこだわり(執着や思い入れ)はありませんから、ルールの根幹に関わらないことが無駄だと判断すればすぐにやめることができます。

とはいえ、横目で確認できたときにはまだ言わないのがまた2種らしい行動ですね。その時は当事者では無かったことと、感情的な波紋が生じるのを避けたのでしょう。

感情を切り離している様子から2種からも「バッサリいく」というような感覚を受けることがあります。一般的に、合理性というと情緒や感情を包含しませんから、その点で受ける印象はいかにも合理的な行動です。

それでは、合理性の本家、5種はどうでしょうか。

あるとき、決して安くない買い物をしたときの担当Cさん。Cさんは、てきぱきと必要なものを運び届け、価格交渉にも端的に応じました。いざ、会計の場面でのこと、私の選んだ支払方法が上手くいかず、手間取る場面がありました。すると、間髪を入れず、私の意図を汲んだ上ですぐに支払いのできそうな方法を提案されたのです。

私の希望通りに進めると少し時間が必要で、残り40分で店が閉まってしまうかもしれない時間の出来事でした。

私はCさんを既に5種だと診断していたので、なるほど、全面的には私が取りたい方法ではないが、価格交渉内容からは大きく外れずに、すぐに決済完了できる方法を提示したのだなと理解しました。

「お互いに損はしないでしょう?」

まさにそんな様子です。

各々「合理的な行動」だとしても、よく見てみるとスピード感も表現の選び方も違っています。実際の人間を観察していれば一目瞭然です。

意図したわけではありませんが、エピソードのテンポと分量にも表れているようです(笑)

5種の合理性は自分にとっての経済的損得、つまり自身の総労働時間と実際に得られる利益、そして自己保存に基づく総合的な判断といったものや、覇権の拡大の様な競争心の一環として行われるものを言います。5種は、いかなるときも時間単価を計算しているような行動を取ります。

「合理性」の印象はひんやりしていますが、5種の合理性が温度を持たないわけではありません。利害得失は非常に主観的ですから、主観ゆえに他人との摩擦による熱量を感じます。その摩擦によって、ヒヤリとすることがあるのも確かです。上下2種の判断はむしろ体温を感じず、事務的と表現することも。それは客観性からくる行動だからでしょう。

2種と5種を並べてみましたが、実際に観察すると全く印象の違う人達ですから診断に迷うということはないと思います。

目の前のこの人にとっての合理性、自分にとっての合理性から、体癖を推し量ることもできるのです。

体癖・心理学を学ぶなら

初心者向けの体癖講座、心理学講座を開催中です。
基本から丁寧にお伝えしていますので、お気軽にどうぞお越しください。

吉沢リリー
名越康文先生の弟子。
気軽に体癖論を知りたい方へ向けた講座「体癖はじめの一歩」を始めました。映画や音楽、漫才、落語、漫画に小説、Vtuberなど、好きなものは多くて長い、九州生まれの喋る人。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次