こんにちは。体癖はじめの一歩、講師の吉沢です。
「体癖こぼれ話」と題しまして、その時々の気づきをお話していきたいと思います。よろしければお付き合いください。
ありあまるエネルギーといえば、それが怒りや大声として放出される7種を想像しますが、7種、8種、9種、10種、そして1種や5種も体力があるイメージですね。
偶数の体癖はまず自分が何かの起点になるよりも、相手が投げたボールをキャッチするところからコミュニケーションを始めるのが楽だと感じる傾向にあります。
偶数体癖に比べ、奇数体癖は意志の固まるスピードが早いので起点になりやすいです。
どの体癖も自分の楽な身体の使い方、心地の良いことを選んで生きています。
10種は受身の偶数体癖の中にあって、華やかさがあり目立つので輪の中心にいるのですが、7種のように自分から「はい集合!」と周りを引き連れているわけではなく、自然に周りに人が集まってきます。そこに偶数みを感じさせますね。
自身が疲れ切っているとき10種と同じ空間にただ居るだけで元気が出てくるので、自然に引き寄せられて行く先にいる10種を探してみてください。
本来、身体を動かすことが10種には合っているので、動かし足りていないことも疲れに繋がります。家の中にずっといるだけではエネルギーを持て余すのです。
もともと世話焼きですが、それが頭の中で加速してああでもないこうでもない…とエネルギーが鬱滞しているとき、本来の10種パワーがうまく循環していないのです。
そんな10種は本領発揮前の10種です。少し気だるそうな雰囲気があり、ちょっと地味になるので、若い頃はスレンダーな体型と相まって、6種かな?と診断に迷うケースもあります。
10種の生命力がうまく循環しだすと、とてつもなくパワフルです。なんでそんなに元気なの?と言いたくなります。身体は全体性ですから、この点のみを指したわけではありませんが、野口晴哉先生は10種について野蛮な身体といわれました。体癖論における褒め言葉です。
はじめのうちは診断に迷うこともあると思いますが、独特の生命力や野性味、濃さを感じられるようになると開閉(9種10種)を発見できるようになります。9種はそこに身体の緊張感があり、10種は弛緩が感じられます。
行動範囲も広く、交友関係も想像を超えてくる、それが10種です。スケール感が埓外なので全体像は把握できません。それが通常、デフォルトです。逆を言えば、その人の全体像が把握できるとしたらそれは10種ではないかもれません。
時々、あの仏の10種が苦手という方がいますが(笑)、全体像が把握できないことを認めた途端、10種と機嫌よく付き合えるようになります。
先に述べましたが、疲れたら10種のいる場所にいるだけで元気が出てきます。私もあるときそんな行動を取っていることに気づきました。ただその空間にいるだけで、です。
そんな10種本人が疲れたところを見たことがありますか?
顔色からも疲労がわかりにくい10種ですが、疲れているとダラダラとよく喋ります。とにかく喋って疲れを鬱散するのです。
句読点なしの盛り上がりのない話をします。ああ、疲れてるんだな、どうぞ休んで、と優しく遠くで見守ってください。(目の前に人が居ると休みませんから)
私は、ちょっとした思いやりでお世話されるだけでびっくりするほど喜んでいる10種を見たことがあります。
10種の根底には、他人のために先回りして身体を動かすエネルギーのうねりがあります。相手から返礼してもらうのは嬉しいことですが、お返しやお礼などは特に求めていないので、してもらうことに慣れていない人もままいるのです。
10種像が少し具体性を帯びてきましたか?
気になったら講座で質問してみてくださいね!
。◕‿◕。(吉沢)
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