こんにちは。体癖はじめの一歩、講師の吉沢です。
「体癖こぼれ話」と題しまして、その時々の気づきをお話していきたいと思います。よろしければお付き合いください。
体癖論は人間に興味がある人にとって意味のあるものにできます。
自分の生きづらさ解消の手助けになりますし、他人に興味を持つきっかけになります。
生きづらさを感じる理由の一つは、自分への関心の強さです。そして、強烈な自我です。正確には、自我があるという思い込みは強烈だということです。そこから離脱したければ、体癖論やアドラー心理学と密教は助力しますし、私も協力したいと思います。
体癖論への興味を持つと、自分の変化、すなわち、他人との関わり方の変化を経験します。
人の悩みのすべては対人関係に由来します。自分の関心事だけで生きていると自意識に振り回されます。その世界に限界を感じて初めて、自意識の外に出たくなるという人も多いかと思います。
他人への関心を持てたときに生まれるのが、「共に生きる仲間がいる」という感覚です。
アドラー心理学ではそれを共同体感覚といいますが、それが萌芽しますと、仲間が楽しそうにしていれば嬉しいですし、辛さを感じていそうなら「協力できることはありますか?」と訊くでしょう。
体癖論を知ると、相手の見ている世界が自分とは全く違うという前提に立ちます。ですから、他人とのすれ違いが起きたとき、もしかすると感受性(何が人生の中心にあるのか)の違いかなと、当たりをつけることができます。
しかし、体癖論を知ったとしても即解決とはいきません。体癖論を身につけた上で、どう使うかは一人ひとりに委ねられます。
例えば、上司の指摘になにか仄めかしがあるとき、正直さを求める人であれば、不信感を持つでしょう。逆も然り。日本人は特に言外の事に敏感です。
そこで、相手とどう関わりたいか、まず、自分の方針を確認してみます。
次に、仄めかすという行動の意味をその場で理解できれば、必要以上に負担を感じることはなくなります。ひいては、感情的にならない方が結果的に自分を利することは明らかです。
体癖論で読み解くことで、相手の行動を理解できる可能性は高まります。
理解は何の助けになるかというと、感情的になるのを防ぐ、怒らなくて済むということです。
少し余談となりますが、違いが理解できても許せないと思うかもしれません。だとしたら、その問題は当事者にとって、いつか出くわす類のものだと思います。
そんな出来事も自分のためになる、自分の為にすることができます。これは心理学講座で実践していきます。
生命を理解するのに体癖論は助けになります。しかし、ポイントになるのは、この道具の使い手の成熟度合いです。
感情的に揺さぶられる相手がいたとき、できることについて、一つ提案があります。
それは、自分の感情的な反応を見つめることです。反応は自我による反射です。そこから自我が強固に守ろうとしているものを知ることができます。
順調に見極めていくと、相手への感覚が変化していき、更には、この機会をくれた相手への感謝の祈りで陰性感情(怒りや嫉妬や悲しさ)は収束します。
そうして、自分自身を陰性感情から自由にする新たなフェーズへ移行するのです。
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