こんにちは。体癖はじめの一歩、講師の吉沢です。
「体癖こぼれ話」と題しまして、その時々の気づきをお話していきたいと思います。よろしければお付き合いください。
体癖論を学んで、はじめに自分を何種だと診断されましたか?まず、9種ではないかと思った方も多いのではないでしょうか。
日本には9種的な職人気質へのリスペクトがありますが、9種性に共感を覚えるのは日本的な感性だと思います。
さて、職人と聴いてどんな人物像を浮かべるでしょうか。
どうも社会になじめず、自分のこだわる何かに打ち込み、それしか出来ないが故の無骨さがあり、結果的に他人には真似の出来ない技術を何十年もやり続けている方を思い浮かべませんか?
人それぞれに自分なりのこだわりがありますから「こだわりのある9種」の説明に共鳴する人は多いのではないでしょうか。体癖論に興味を示す方に多い特徴かと思います。
例に漏れず、かくいう私もそうでした。体癖論に出合った頃の自己像は「偏愛」であり、「なんとなく全体的にうまくやっているほうかもしれないが、追求したい感覚は満足していない」という認識でした。
私の場合「もっと誰をも深く愛したい」という自己理想と「本当は好きなことしかできない」という感覚があり、自己像との間にギャップがありました。自分を地味だと思っていましたしね。
現在の自己認識(自己像)が必ずしも体癖論の診断と合致しているとは限らないのは、私の例をみてもわかるかと思います。
仮に体癖が自己診断できたとして、その体癖論を使う方法は最初はわかりません。しかし、[自己理想]「私はこうありたい」と、[自己像]「〈でも〉私はこうなんだ」との間にあるギャップを掴む手掛かりになります。
〈でも〉と入れたのには理由があります。
〈でも〉とは、こう生きていきたいという自己理想との摩擦であり、その時点では生きにくさの自覚です。
〈でも〉は、あなたが今、両手に握っている自分の価値観とは何なのかを教えてくれたということです。その価値観を「今、持っている。〈でも〉あなたはそれを手放したい」と言っているわけです。
自我とは実に逆説的です。
私はこう言います。
どうぞしっかり握っていてください。そして、よかったら体癖論を一緒に楽しく体験していきましょう。
そのうち、別の体癖の人をとんでもなく変だなと思ったり、面白いなと思ったりしていきますから、そういう生き方もアリかもと思っているうちに、その両手に別の価値観を掴み取っているかも知れません。
いえ、別のものを掴まなくてもOKです。どの選択もすべて問題なしです。
そんなヒントをくれるのも体癖論です。
私が出会った9種の方は大抵こう言いました。
「私は博愛である」
「こだわりなどない」
私にはこだわりがあります!と自覚出来ているのは非常に客観的でしょう?
それぞれの体癖(感受性)は、無意識に発露しているものなので、気づいておられる方はいないと言ってもいいでしょう。とりわけ開閉こと9種10種は、客観性とは何?というくらい、主観だけで生きています。
当初、名越先生のメルマガを読んで講座に臨んだ私は、「偏愛」という自認であり、「こだわりは大してないと思うけれども、こだわり足りていない(もっと追求したい)感覚」が9種のイメージと重なりました。
そして、名越先生の講座に行き、先生とお話ししたタイミングで「これは違う」と思うに至りました。
少しでも体癖論に触れた方は、自分の謎を解くようなこの面白さを感じてもらえたら嬉しいです。心理学と同様、体癖論もお稽古ごとですので直接先生から話を聴くのが一番です。この人なら信頼できるという方に出会えたら、色んなことを毛穴から吸収して自分の人生に使用してください。
あるとき、ふと、知らず知らずに他人の生きづらさを目にしていて、それを愛おしく、優しく感じていると気づくでしょう。裏を返せば、まさにあなたの生きづらさが他人の救いになっていることにも気づくでしょう。
人ってオモシロイ
と確信できるはずです。
未来のあなたからみた、今のあなたも相当オモシロイ人です。
。◕‿◕。(吉沢)
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